僕の女論①
「貴様は、どれだけ女をバカにすればすむのか!」
と、よく言われるのですが、ハッキリ言って、そんな気持ちは毛頭無いわけです。
ボクは、女をこの世で一番愛し、憧れているのです。
だって、いいじゃないですか。
女性は美しい。かわいい。肌はすべすべで、オッパイは柔らかい。
かわいらしい服が似合う。風に揺れるミニスカートに心地の良くドキドキさせられる。
髪が風にゆれ、振り向いて笑顔を見せてくれるだけで、ウキウキするし、
夏のお祭りに、浴衣姿で現れたら、ぽうっとしてしまう。
なんとなく嫌なムードが流れている商談も、女の笑顔でおさまりが良くなることだってあるし、決してミスを許さない部長だって、女の子に酌をさせるだけで、部下には見せないようなデレスケ顔にだってできる。
それに極めつけは、穴が開いていて、その穴にティンコを入れれば気持ちがいい。唾液だって美味しい。
本当に女は優れている。
神がこの世の中に、男のみ産み落とさないでくれて感謝します。
女も作ってくれてありがとう。何の味気も無い世界になるところでした。
そんな優れた“女”という生き物。
女の優れた点をいろいろとあげてきたけれども、
そういった要素の中で、女という生き物の一番の魅力とは何か。
それは「女が女の魅力を発動したときに、男は胸の辺りがもにゃもにゃして、どうしょうもなく臆病になってしまうところ」なのだ。
ミニスカートを風になびかせ、吹雪のごとく舞い落ちる桜の中を振り返り、笑顔を見せただけで
「くぁーーわぁーーーいいぃぃーーー!」
「この女、俺のモノにしてーなー」
「でも無理だよなぁ〜〜」
「ふむーー!もう、かわいいんだからーー!」
「抱きしめてぇーーー」
「手に入れたいけど、この女とSEXできんのかな?」
「いや、SEXしたところで、この子の美しさを手中に収められまい。俺は醜い、ティンコの付いた下種な生き物にかわりはない」
「この上等な生き物を抱きしめたところで、俺のなにが変わると言うのだ!」
「死のう!」
と、男を死に追い込むほどの魅力を持った生き物なんですよ。
女を見るたびに、男という汚らしい存在を思い出し、その存在こそが自分だと叩き知る。
そんな男の憧れである“女”
その女が!
美しく、男をもにゃもにゃさせ、死に至らしめる女のすべてが、
汚らしい“男”のモノになっているんですよ。
男が、道に転がってい犬のウンコをさわっていた子供のころから、暇さえあればいじりまくり、白い液が出た後で、トイレットペーパーで拭いて、クズがこびりついちゃっていた、最悪に汚いティンコを、口に含んだり、穴に入れられているんですよ。
なんと簡単なんだ!
なんと簡単で薄っぺらいことか!
なんと簡単で薄っぺらくて、愚鈍で、思慮浅いことか!
男が憧れ、決して触れることができない、と諦め続けてきた宝石のごとく輝く頬に、なにザーメンぶっかけられてんだよ?????
この世で一番美しいものが“女”ならば、
この世で一番汚らわしいものも“女”なのだ。
それを理解しているからこそ、一番愛し憧れ、一番汚らしく扱いたいんです。